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白と青

下北沢事業所

2023.01.30

白と青

白鳥(しらとり)は哀しからずや海の青そらのあおをにも染まずただよふ

 

若山牧水という人の短歌で、こんな短歌があります。海の切れ目と空の切れ目、その真っ青な世界の境目に白鳥がいるのです。そして、その白鳥は、広い空と海のどちらにも染まらずに泳いでいる、という歌です。
なぜ白鳥はどっちでも、とにかく青い色に染まらないんだろう?いっそ、どちらかに染まってしまえばよっぽど楽なんじゃないか?そんなのは哀しいんじゃないか?いや哀しいに決まっている、という意味だと思います。なぜそんな孤独を選ぶんだろう?

 

現代社会において、特に日本の現代社会においては「同じである」ことは暗黙の了解の一つです。とはいえここにいる私たちは、最初から誰かと「同じである」ことが、絶対的に難しい一面があります。選びたくなくても私たちには孤独な白鳥にならざるを得ないところがあります。
そしてまた、自分で白鳥的発想をするのも得意です。白いのか青いのか、どちらかでなければいけない。いやむしろ青にも白にも属していいのか、そんな奢った気持ちを持っていいのか。もっと中途半端な色、誰もが通り過ぎるような色、たとえば灰色あたりが自分には似つかわしいのではないだろうか…という自動思考が巡ります。
そのとき、何色でもいいじゃない、という考えは思いつきません。そうやって自分をがんじがらめにしていくわけです。
私はさらぽれに通所して、さらぽれの職員さんの助言もあって、訪問看護や、地域障害者相談支援センターなどの支援の利用もしました。さらぽれの職員さんにも自動思考の修正の仕方を指摘し続けていただいてきました。そうして少しずつ、「何色でも良いのかもしれない」と思えるようになっていったと思います。

 

私は2年近くかけて今、ようやく就労先が決まりました。今思ってみると、就労活動というのは自分の棚卸しをするということでもあったと思います。自分の棚卸しをするということは、がんじがらめにしていた自分の自動思考を見つめ直して修正していくという作業でもありました。「青でなければ青、さもなくば白、いやいやそうじゃない、灰色さもなくば灰色でしかない」というような自分を「またやってるな、何色だろうが構わないんだよ」と言い聞かせられるようになっていきました。私の場合、その自分を縛り付けている思考のクセはなかなかに強くて、もしかするとゼロにすることはできないかもしれません(またここでゼロでなければならないという思考のクセがでてしまいました)。

 

白鳥は、たぶん、哀しいまま海にただよっています。私たちはただよう白鳥に憧れたりもするけれど、色々な色になる自分を、それでいいじゃない、と思えるように暮らしていきたいな、と思います。