訓練生のブログblog

ありもしない「架空のみんな」のことをいつも考えてしまう、という私のおはなし

ありもしない「架空のみんな」のことをいつも考えてしまう、という私のおはなし

「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。」
この言葉はご存知でしょうか。ご存知な方は多いかもしれません。頭に赤くて大きなリボンをあしらった魔女の、有名な映画のキャッチコピーです。ではこちらはどうでしょうか。
「色々、ああなったりこうなったりしながら、まあこっちもなんとかやってんねんなあ」
これはちょっと意地悪問題です。これは私の友人の言葉なのでした。
 
私にとってこの2つの言葉は、「意識的に思い出すことにしよう」と決めた言葉です。
なぜか。
ひとつめに、「魔女だって落ち込む、友人だって、ああなったりこうなったりしている」とみんなが私と同じだと思えるから。
ふたつめに、「まあでも、みんななんとかやっている、なんとかならやっていけるんだ」と、希望を持とうと思えるからです。
 
まさに、頭の中にいつもつきまとうこの「みんな」について、今回はお話をしたいと思います。
段々「みんな」がゲシュタルト崩壊しそうになってきましたが、それはさておき。
 
この「みんな」の存在は、時に私に悪さをします。上の2つのセリフは、「みんな」ではなく、「2人」の言葉です。
でも、この「みんな」という言葉はいつも、多くの仲間を勝手に呼び寄せ、もっと多くの「架空の大勢その他のみんな」に膨れ上がりがちなのです。
そして、悪いことに「みんなはちゃんとやっている。みんなに比べて何にもできない私は、みんなよりも劣っている、私はみんなに比べて努力が足りない、そんな私は無価値だ」となることがあります。
 
そうなってくるともう最悪です。
誰かが死んだというニュースを見ては「なぜ責められるところもないような人が死んでしまうんだろう?無価値な自分こそが死ぬべきだったのに…」なんてことになります。
 
ですが、落ち着いて考えてみれば、「誰かが死んだ」ことと、「自分が死ぬべき」こととは何のつながりもありません。
それに、みんなより劣っているというその「みんな」は実体のない「架空のみんな」であって、「劣っている」定義もあやふやです。自分が一体みんなの中では何千何百番目で、なにが・どのように・どれだけ劣っているのかを測れるわけもないし、劣っていることで苦しんでいるのは私だけで、周りは私が劣っていようが「彼・彼女は劣っているのだから死ぬべきだ」とは思っていません。
たまにそういう暴言を吐く人はいますが、それは、どういう場合でも、全く正当なことではないですよね。
そうなんです、私はちゃんと分かっているのです。
 
また、「みんなに比べて私はまだまだ大丈夫だ、他の大変なみんなを押しのけて私が図々しく求めてはいけない」となったりもします。
 
すると、(主治医の先生に「困ってますか」と聞かれてるけど、「困っています」と言えば話がさらに長くなってしまう、すると次の患者さんは予約時間を超えて待たなければいけない、次も次もその次も、他の患者さんはみんなもっとずっと困っていてもっとつらいのに、私なんかの下らない症状の説明で時間を奪ってはいけない)「先生、私はあまり困っていません」(「あまり困っていない」と言えば先生も困らない、だって「少しは困っている」患者をちゃんと診察したことになるから診察の意義はあった、OK私は全然困ってない)
・・・というようなことにもなります。
 
これも、私よりもつらいかどうか、私のあとに今日の患者さんがどれだけいるのかも分かりません。
「私より大変な、待ち疲れているみんな」がいる、という思い込みに過ぎません。
これも私はちゃんと分かっています。
分かっているのに、しばしば分からなくなってしまうのです。
 
この「架空のみんなと常に比較する」的思考とは、もう少し距離を置いてお付き合いする方が良さそうです。
 
と言ってみたものの、私も実は「これをすれば絶対にそんなつまらない思考に陥らない!」という方法を見つけたわけではないのです。
ただ最近、1日の終わりに、感情を抜きにした、端的な「~があった、~をした」記録をつけ始めました。
端的にすれば、とにかくしんどい時でも忙しい時でも継続しやすくなるという狙いがあります。
また、感情を抜きにしておけば、次の日やその次の日あたりにそれを見返した時に「あ、
なあんだ『~をした』に過ぎないんだ」というように、客観的に落ち着いて見えるという狙いもあります。
これが最善ということではありません。
もしかすると全然失敗な取り組みかもしれません。
が、それでもこれはスモールステップなんだと、私は自分に言い聞かせています。
これがだめでもいいんだ、また次を考えればいいんだ、と思ったりしながらあがいているのです。
まさに「ああなったりこうなったり」頭を抱えたり寝込んだり、しくしく泣いたり机に向かってみたりしているわけです。
魔女がそうであるように、友人がそうであるように。
もしかすると魔女も友人も「元気です」「なんとかやってんねん」と言い聞かせているのかもしれません。
呪文のように。
 
とまれ、客観的に落ち着いて自分を振り返ることができるようになった時、いつかようやく私も本当の自分の言葉として自然に
「落ち込んだりもしたけれど、わたしは元気です。」
「色々、ああなったりこうなったりしながら、まあこっちもなんとかやってんねんなあ」
と言えるようになるかもしれません。
なれるといいなあと思っている・・・という私のおはなしなのでした。

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