訓練生ブログ

「透明なロープ ~大人になってから発達障害と診断されて~」

下北沢事業所

2024.09.27

訓練生 I

こんにちは、訓練生のIです。私は前職就労中の33歳の頃、ASD並びにADHDと診断されました。
このブログでは、大人になってから発達障害の診断を受けて感じた戸惑いや不安、そしてさら就労塾に通所して得た自身の変化について書きたいと思います。

1.縛られた私の『何か』
発達障害という言葉がまだ世間に浸透していなかった頃のことです。小学一年生の私は、授業中に教室から出て行ってしまう生徒でした。ある日、担任の先生は「これは透明なロープです」と前置きし、私をイスにグルグルと縛りつける動作をしました。「さあ、これでIさんは授業中に外へ出ることはできません。わかりましたね。」同級生たちが皆、大きな声で笑い、先生の言う通り動けなくなった私は、初めての屈辱を味わいました。
それ以来、笑われることのないよう周りの子に言動を合わせるよう努めました。教室から飛び出したい衝動を押し込めることは容易ではありませんでしたが、また笑われるくらいならと自分を抑圧し、キョロキョロと周囲の様子を窺いつつ、なんとか『普通』の子供のふりを続けました。

2.『普通』じゃない私
学生の頃までは誤魔化しのきいた特性も、社会人になると『普通』を演じきれないシーンが増えてきました。報連相できない、業務が追いつかない、感情を抑えられないなどの失態を繰り返すうちに、なぜ私は人並みに働くことができないのだろう、うまくいかないのだろうと自己嫌悪に陥りました。
その後、医師の勧めで検査を受け、発達障害と診断されました。人並みに働くことができない理由が分かり、ほっとしたような気持ちの一方で、周囲に合わせようと自我を押し込めてきたこれまでの努力を否定されたような悲しさと、この年齢になって診断されたところで今さらそれがなんだ、という捨て鉢な思いで診断書を見つめました。

3.さら就労塾へ
体力気力ともに限界を迎えた仕事を辞め、2年の療養を経て勧められるままさら就労塾へ入所しました。自分の障害特性について深く考えたこともなく、「私のように障害に気づくまで時間が掛ってしまう人はいないのでは」という不安がありましたが、通所を始めてみると、訓練生の年齢層も幅広く、会話に楽しみを見出すことができました。
また、自己分析をしたことのなかった私には、どうしてもできないこと、助けを得ることでできることの違いがわかっていませんでした。訓練を通して見えてきた考え方のクセや得意不得意を職員の方々に相談するうちに、自分の障害特性と、心身共に健康に勤務するため企業にお願いしたい配慮事項が明瞭になってきました。少しの配慮でできることが広がり、作業を褒められることも増え、戸惑いを感じながらも、前向きな気持ちが芽生えてきました。事業所に通うことで社会人としてのスキルを身につけると共に、私が私であるままでも社会は開かれていて、受け入れてもらえることを教えてもらえました。

4.最後に
『透明なロープ』に縛られ、長い間自分を押し込めてきました。障害が無くなることはありませんが、理解を深め、対策を練ることで装うことなく、無理なく生きることができるとわかり、ようやくロープがゆるんできたと感じています。必要以上に不安を感じやすく、いまも人と自分を比べてしまいがちですが、その度に職員さんに相談し、私らしく生きるためのヒントを集めています。
今さら勉強したところでと、はじめこそ訓練に身が入らなかった私ですが、通所して良かったと感じています。私が私のまま、自信を持って働くことのできる職場に出会えるまで、これからも訓練を続けていくつもりです。