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相撲マニアの語らい ―好角問答―

秋葉原事業所

2017.09.08

はじめに

1.ねらい

この執筆を通じて、意図したのは次の2点です。「読み手の皆さんが少しでも大相撲に興味を持つキッカケとしてもらいたい」と「大相撲を通じた自分史の回顧」です。

 

前者については、大相撲独特の用語が多いことを考慮して、本文とは別に注にて解説するにようにしました。このため、下線部を含む段落のすぐ下に注があります。

 

後者については、対談者両名のパーソナリティが伝わるように心がけました。いわば、大相撲を通じた部分的な自己紹介でもあります。

 

2.構成

今回は秋葉原事業所の相撲好き二人(かもしか、T.K)による対談形式を採っています(但し、「はじめに」「あとがき」は、かもしかによるモノローグ形式)。目次は以下の通りです。

 

はじめに
第1部 私と大相撲
 1. 相撲を好きになったキッカケ
 2. ご贔屓(ひいき)力士
 3. 媒体の使い方
第2部 私の大相撲史
 第1~5期に区分
まとめ
あとがき

 

主体(対談者)と対象(大相撲)の関係でいえば、重複する部分は含みつつ「主体寄り―対象寄り」という基準で第1部と第2部を区分しました。言い換えると、前者は対談者の主観に重きを置いて、第2部は感情を交えつつも事実関係の掘下げに重きを置いています。

 

まとめでは、さらぽれでの訓練を含めた日常生活との関連を主に、あとがきでは執筆の振り返りを書き記してみました。それでは、長文になりますが最後までよろしくお願いします。

第1部 私と大相撲

1. 相撲を好きになったキッカケ

かもしか:私は祖父の影響ですね。幼少期は母がピアノ教室を開催していた関係で、隣居する祖父母に預けられることが多かったんです。それで本場所開催時期はいつも一緒にTV観戦でした。そのとき、小錦が「黒船来襲」などと注目されていた時期で、幼い私もその圧倒的パワーに魅了されて、相撲ファンになってしまったんです。

 

T.K:私も、かもしかさんと同じような経路です。父が相撲好きで本場所中はTV観戦していたので、その影響が大きかったです。そこに若貴ブームが加わって、ちょうど小学校高学年の頃から好きになりました。

 

2. ご贔屓(ひいき)力士

かもしか:T.Kさんも好角家歴が長いので、好きな力士といっても大勢いるかと思うのですが、やはり最初は若貴からですか?

注:角力と書いて相撲と読むことに起因して相撲界を「角界」、相撲ファンを「好角家」と呼ぶ。

 

T.K:そうですね。特に兄弟同士の優勝決定戦(95年11月場所)が特に印象に残っています。同じ部屋同士での決定戦ですら珍しいのに、ましてや実の兄弟ですからね。

注:大相撲の本場所では優勝決定戦を除いて同じ部屋同士の力士は対戦しないことになっている。

 

かもしか:私の場合、小錦以降では千代の富士→曙→貴乃花→白鵬と変遷しています。こうして思い起こしてみると「パワー型(小錦、曙)」と「大横綱型(千代の富士、貴乃花、白鵬)」に分けられます。最初は判官贔屓だったのですが、千代の富士の53連勝(1988年5~11月)をキッカケにして、圧倒的強者に惹かれるようになって今に至っています。T.Kさんは若貴以降では、どういう系譜を辿ってきたのですか。

 

T.K:まずは綱取り以降(1999年3月~)の武蔵丸ですね。彼の最大の長所は休まないこと、55場所連続での勝ち越しは今でも最高記録ですから。それに人柄も好きです。風貌も西郷さんみたくていいじゃないですか(笑)。

注:相撲界(以降、角界と表記)での地位は下から順に「幕下—十両—前頭—関脇—大関—横綱」となっている。これに各力士を当て嵌めたものを「番付」という。最高位への横綱昇進に際しては最も厳しい条件が課されるので、「綱取り」と通称し、特に注目を集める。

 

かもしか:武蔵丸でいえば、私はT.Kさんとは逆に動きが機敏だった頃(~97年)の方が好きでした。体重が増えて、右を差して腕(かいな)を返す取り口に特化してからは、動きが少なくて見ていて面白みを欠いていました。現在までで他のご贔屓力士は?

 

T.K:旭鷲山、旭天鵬→曙→栃東→魁皇→高見盛→白鵬といったところでしょうか。

 

かもしか:1990年代でモンゴル勢コンビとは、また渋いチョイスですね。

 

T.K:今でこそモンゴル勢の黄金時代ですが、前記の2人はまさにパイオニアですよ。曙はケガで苦しんでいた時期に復活を願って、栃東は父の影響、高見盛はあのキャラクターに惹かれて、それぞれ応援していました。ただ、イチ押しはというと魁皇と白鵬です。

 

かもしか:好き嫌いが分かれそうな2人ですね。魁皇については期待してはいたものの、取りこぼしが多く横綱から遠ざかるにつれて熱も冷めてしまいました。白鵬は、ここ数年はヒール扱いですからね。

 

T.K:魁皇は、低迷していたところから初優勝(2000年5月)をキッカケに大関昇進した頃から好きです。あの豪快な上手投げが決まったときには爽快感を覚えます。何しろ握力100kgでリンゴを握り潰すくらいですからね。全盛期の貴乃花ですら右上手をがっちり引かれたらお手上げですよ。

 

かもしか:2人とも挙げている白鵬については、別項を設けているので、そこで詳述しましょう。

 

3. 媒体の使い方

かもしか:まずはTVから。私の場合、平日夕方は自宅を不在にしていることが多いので、NHKダイジェスト(深夜放送)を録画して見ています。自室にTVがなく、視聴時間が限られているので、早送り&上位陣のみです(苦笑)。ただ、終盤3日間に優勝を左右する一番が組まれている場合は例外で、生中継で視聴できるように予定を組んでいます。

 

T.K:早送り&上位陣のみは反則というか、随分とせわしないですね(笑)。私は、ほぼリアルタイム視聴です。さらぽれを終えて帰宅すると、ちょうど幕内後半戦ですから。休日は幕内全取組に加えて十両を見ることもあります。加えて、Webではニュース記事を小まめにチェックしています。

注:一部リーグに相当し、前述の前頭~横綱で構成される。幕内に昇格することを「入幕」という。

 

かもしか:私は、TV視聴に時間を割けない分、文字情報で情報収集するようにしています。結果、力士・親方コメントのチェックはニュース記事で、掘下げて調べたいときは(例:記録、経歴など)Wikipediaですね。

 

T.K:私もWikipediaにはお世話になっています。相撲史への関心が強いので、過去の力士を調べたりする際には重宝しています。現役時代をリアルタイムで知っているわけではありませんが、千代の富士や北の湖、古くは大鵬や栃若まで遡ってみたりしています。情報収集の方法は野球と共通する点が多いのですが、不明点はすぐ調べるというクセはPCでの訓練中にも役立っていますよ。

 

かもしか:私は分からない用語などがあっても、そのまま流して読み進めてしまうので、その点は見習わないといけませんね。あと、紙媒体については如何ですか?墨田区は国技館が所在しているだけに、図書館では相撲関係の資料が充実していますよ。双葉山の自伝(『相撲求道録』)などは読んでみたいですね。

 

T.K:私は雑誌をよく読みます。小学生の頃からお小遣いで自腹を切って購読しているので、習慣化しているんですよ。勿論、書籍も読んでみたいです。どんな本があるか、あればAMAZONで検索しつつ、地元の図書館でも探してみてもいいかもしれないですね。

 

かもしか:ニュース記事では足らない分を掘り下げてくれますからね。専門家による場所のレビューと場所前のプレビューは、今のところ雑誌を手に取らないと読めないので、私も図書館に行ったときは手に取るのが習慣になっています。

 

T.K:野球の球場観戦はよく行くのですが、両国の国技館でも生観戦してみたいです。ちなみに私の国技館デビューは1996年でした。かもしかさんは?

 

かもしか:2006年秋、07年夏(白鵬の綱取り)、08年初(白鵬VS朝青龍の横綱決戦)と計3回観戦しています(いずれも千秋楽=最終日)。どうしても溜(タマリ)席がよくて、徹夜で並んだのですが残念ながら桝席でした(汗)。それでも3回とも結びの一番で朝青龍と白鵬の熱戦が見られたのは幸運ですね。

注1:大相撲は15日間×年間6場所で、「1月(初場所/東京)→3月(春場所/大阪)→5月(夏場所/東京)→7月(名古屋場所)→9月(秋場所/東京)→11月(九州場所/福岡)」という順で開催される。

注2:土俵に最も近い座布団の席を指し、「砂っかぶり」ともいう。

第2部 私の大相撲史

かもしか:まず私達がリアルタイムで見てきた1990年代以降を便宜的に次の5期に区分してみました。

 

第1期:91~93年 「若貴ブーム―二子山勢とハワイ勢」
第2期:94~97年 「貴乃花―大横綱への道」
第3期:98~02年 「戦国群雄割拠」
第4期:03~2010.1 「モンゴル横綱の時代」
第5期:2010.3~現在 「白鵬一強」

 

第1期(91~93年) 「若貴ブーム―二子山勢とハワイ勢」

 T.K:この時期では、91年夏場所の千代の富士(以下、千代と表記)引退が一番の出来事ですね。力士は選手生命が短く、特に横綱は30歳前後で引退することが多い中、千代の富士は35歳を過ぎても第1人者でした。とはいえ、年齢が年齢ですから「とうとう、この日が来てしまった」という印象です。

 

かもしか:1985年初場所から国技館が両国に移ってからは、まさに千代の富士時代でしたからね。私も引退会見ではもらい泣きでした。

 

T.K:当時、千代と北勝海、大乃国、旭富士の4横綱だったわけですが、千代引退から1年で残りの3人も引退してしまったのですから、如何に千代の存在感が大きかったかがわかります。

 

かもしか:その後の若貴の台頭を考えると、千代が引退を決意した貴乃花戦(91年夏場所初日)は、まさに「世代交代の一戦」だったといえますね。

 

T.K:91-92年は、横綱・大関以外の優勝が6回もあるなど、史上稀に見る乱世の時代でした。そんな中で最初に頭一つ抜け出したのは、プリンスとして本命視されていた貴乃花ではなく曙でした。この時期は若貴に象徴されることが多いのですが、もっと曙の存在を高く評価していいと思っています。

 

かもしか:確かにマスコミ報道や世間の認識としては血統のいい若貴に注目が集中しがちでしたが、実力の分布で考えると二子山勢(若貴、貴ノ浪、貴闘力、安芸乃島)とハワイ勢(小錦、曙、武蔵丸)が2強を形成していましたね。勿論、それ以外にも実力者は割拠していましたが(琴錦、水戸泉…)。

 

T.K:曙と貴乃花のライバル関係から「曙貴(あけたか)時代」と呼ばれた時期もあったわけですが、この辺りはどう考えますか。貴の横綱昇進後は対照的に曙のケガが多く、両者が毎場所のように優勝争いというわけにはいかなかったのが惜しいところです。

 

かもしか:ご贔屓力士の項でもお話ししたように当初は曙の圧倒的なパワー、突き押しが好きで応援していたんです。だから、ケガが目立ち始め、敵役である貴乃花が順調に伸びていく様は臍(ほぞ)を噛む思いで見てましたよ。

 

T.K:それでも95年夏場所ぐらいまでは拮抗してたんです。それが96年に4連覇したことで貴優位が確定しましたね。

 

第2期(94~97年) 「貴乃花―大横綱への道」

かもしか:前項と一部重複してしまうのですが、この4年間で15回の優勝を重ねているので、貴乃花時代といって差し支えないと思います。

 

T.K:戦後史70年を振り返って、特にLvが高かったのは輪湖(輪島-北の湖)と曙貴の2期だったと思います。二強以外にも前者であれば若乃花(2代目)、貴ノ花(初代)、三重ノ海、後者は武蔵丸、貴ノ浪、若乃花(3代目)、武双山、魁皇と強豪が多くいましたから。

 

かもしか:朝青龍→白鵬の一人勝ちに見慣れてしまうと、その陣容の豪華さが浮き彫りになりますね。

 

T.K:だから北の湖、貴乃花の残した成績は他の大横綱のそれと比べて、より高く評価されて然るべきでしょう。

 

かもしか:同感です。YouTubeで昔の取組を視聴するのですが、双葉山以降では四つ相撲の完成度についてはNo.1だと思います。特に、相手の廻しを切る技術(腰を振る、腕を返す等)と土俵際での腰の寄せ方、低さは圧巻ですね。
これだけ寄り切りが多い力士は他に例を見ません。

 

T.K:技術面だけではなく精神面や相撲への考え方、取り組み方も素晴らしいです。横綱昇進時の口上である「不惜身命」という言葉からも情熱やストイックさが伝わってきます。ただ、その一途さ故にケガが多く抱えてしまったのは残念でなりません。

 

かもしか:貴乃花への見方が敵役から応援の対象に変わったのも96年の4連覇ぐらいでした。「このままのペースでいけば、大鵬の優勝回数(32)を超えられるかもしれない」と思ったからです。これ以降は、引退まで貴乃花に入れ込んでました。

 

T.K:私も貴乃花ばかり優勝してつまらないと思っていたところ、優勝30回超えの可能性が見えてきた辺りから応援するようになりました。96年を転機として見る点ではかもしかさんと共通です。

 

第3期(98~02年) 「戦国群雄割拠」

かもしか:T.Kさんにとって、どんな時期でしたか。

 

T.K:やはり貴乃花のケガと苦闘が最大要因でしょう。96年の背筋裂傷に始まり、肝機能、右肩と左指の脱臼、左上腕腱断裂とまさに満身創痍でした。

 

かもしか:「ケガ→強行出場→悪化、休場」の繰り返しで、ファンとしてはとても見ていられませんでしたよ。

 

T.K:そうした引退と背中合わせの状況でしたから、2001年初場所の復活優勝(通算21回目)は感動的でした。

 

かもしか:私は強行出場反対論者なので同年夏場所の優勝(通算22回目)は複雑な思いで見ていた分、V21の方が思い入れは強いです。

 

T.K:V22と引き換えに負った右膝半月板損傷(13日目武双山戦)が致命傷になったわけですが、当初は影響を過小評価していて、7場所も連続休場するとは思ってもみませんでした。

 

かもしか:横綱審議員会の半ば強制に近い出場勧告で02年秋に出場するのですが、本人の復帰の意志が切れていないのであればもっと休んでから出場すべきだと思っていました。結果的に最後の皆勤となっただけに悔いが残ります。

 

T.K:ケガをした時点で休場して、その後の手術→リハビリを徹底的にやればあと2年くらいは現役を続けられたと思っているので、やはりV22を「ケガの痛みに耐えて勝ち取った感動の優勝」と割り切ることはできません。

 

かもしか:貴乃花の話題は尽きないので、この辺りで他の力士にも触れてみましょう。

 

T.K:千代引退直後の完全な下剋上と違って、絶対的強者が不在という意味での割拠でしたね。貴不在を埋めた最大の功労者として武蔵丸を挙げないわけにはいきません(98~02年で10回優勝)。大関陣も、千代大海、魁皇、栃東と充実していて、それぞれ複数回優勝しています。特に私のイチ押しである魁皇は、日本人大関の中で最も横綱に近い存在でした。

 

かもしか:そんな状況下で頭一つ抜け出したのは既存の実力者ではなく新星・朝青龍でした(01年初場所新入幕)。

 

第4期(03~2010年初場所) 「モンゴル横綱の時代」

T.K:朝青龍については土俵外でのトラブルが多い分だけ心証を害しています。また、横綱昇進後の稽古不足やライバル不在が目立つ分だけ、他の大横綱と比べて評価が下がります。

 

かもしか:新入幕から横綱昇進まで11場所のスピード出世ですからね。本人の力量だけでなく周囲との力関係に左右されていたことは否めません。

 

T.K:白鵬が並立してくると旧失速したことからも見て取れるように「勢い任せ」が目立ちます。

 

かもしか:技術面では如何でしょうか。黒の廻し、圧倒的なスピード、相手の頭を押さえつけての上手投げなどは千代の富士と重なる部分が多くあります。

 

T.K:千代は肩の脱臼癖を克服するために1日1000回の腕立て伏せを日課とするなど、凄まじい稽古を課していました。この点では対照的ですよ。また、魁皇や白鵬との対戦では胸を合わせて組み合うと劣勢でした。それでも、04-05年の独走は勝つべくして勝ったわけですから、評価されて然るべきだとは思います。

 

かもしか:いろいろ問題を抱えているとはいえ、残した成績は堂々たる大横綱なわけですから、公正に評価しないといけませんね。

 

T.K:白鵬が横綱に昇進したときには衰えが目立っていた朝青龍ですが、それでも4回の優勝を重ねているのは先輩横綱としての意地を見せたのだと思います。もし、引退の引き金となった暴行事件が無ければ、あと2年くらいは優勝争いを牽引していたでしょう。

 

かもしか:力士にとって致命傷である下半身のケガがなかったですからね。そう考えると早すぎる引退であったことは確かです。白鵬との並立に奮起して猛稽古を再開してくれていたとすれば、相撲史に残る二強時代になっていたかもしれない、という思いは未だに拭えません。

 

T.K:東西正横綱が千秋楽結びの一番で優勝を争う展開が毎場所続くのが理想形ですからね。最も近かったのが「北の湖—輪島」でしょうか。二強という点でこれに次ぐのが、前述の「栃錦—若乃花(初代)」「曙—貴乃花」、期待外れに終わった「千代の富士—隆の里」ですね。

 

第5期(2010.3~現在) 「白鵬一強」

かもしか:そして大相撲の現代史ともいえる白鵬一強時代についてです。

 

T.K:何よりも評価されるのは身体の丈夫さです。他の大横綱と比べても傑出してケガ、休場が少ない。しかも、ハイレヴェルの成績を長期間に亘って持続しているわけですから、「角聖」といわれる双葉山以上かもしれません。

 

かもしか:よく連勝記録が話題になりますが、年2場所での双葉山の69連勝と年6場所での白鵬の63連勝を比べたら後者の方が評価は高いと思います。勿論、他の強豪との力関係など同時期の平均レヴェルも考慮する必要がありますが。

 

T.K:数字でいえば、記録ずくめの力士でもあります。先場所では魁皇の通算1047勝を更新し、優勝回数は40回を目前。果たしてどこまで伸ばしていくのやら・・・

 

かもしか:技術面でも、右四つ左上手で盤石なのは貴乃花を彷彿とさせます。ですから、大関時代は濃紺の廻しだったこともあって、当時は「貴乃花の再来」として期待していました。ただ、貴乃花に比べて身体が柔らかく、攻めが多彩な点は、大鵬の万能さに通じる部分も含んでいるといえます。

 

T.K:本人が言うように東京五輪までは現役を続けてほしいですね。

まとめ

かもしか:ここでは、全体を概観するようなお話をしていきましょう。まず、人種問題から。どうも白鵬がヒール役となりつつある背景に、本人は日本人の外国人に対する差別意識を感じているみたいなのですが。

 

T.K:白鵬戦での観客席からの稀勢の里コールや、綱取りがかかった際の過度な期待のことですか。それを差別とするのは言い過ぎですよ。単純に日本人力士の優勝や横綱昇進が途絶えていただけに余計に期待が高まっただけだと思います。

 

かもしか:日本人特有の“判官(ほうがん)びいき”ですか。これは圧倒的勝者が素直に称えられる文化からすれば理解しにくいかもしれません。文化の問題も関連するかもしれませんが、強行出場については如何でしょう。

 

T.K:まず思い浮かぶのは貴乃花の例です。最後の優勝と引き換えに引退したようなものですから。稀勢の里が二の舞にならないか心配ですよ。少しでも現役を長く、しかも健康に過ごしてもらいたいというファンの立場からすれば、強行出場には絶対反対です。

 

かもしか:いつも二人で批判論を語り合っているだけにこの点では一致ですね(笑)。甲子園での連投とも共通するのですが、選手生命を縮めてでも出場することに対する期待や賛美が観戦側・報道側にもあるのかもしれません。

 

かもしか:では、日常生活との関連については如何ですか。

 

T.K:相撲の稽古は、数多くのスポーツの中で一、二を争う厳しさです。加えて、シーズンOFFのあるプロ野球と比べて、本場所と巡業でほぼ通年で興行しているんです。このことを考えると、「すごい!」としか言いようがありません。こうしたところから、私も日常生活でのエネルギーを分けてもらっています。

 

かもしか:プロスポーツにおける非日常性は庶民の娯楽ですからね。具体的なエピソードはありますか。

 

T.K:貴乃花が7場所連続全休から復帰した02年秋場所ですね。大学受験勉強の真っ最中で、貴乃花の頑張りが自分への励みになっていました。

 

かもしか:私は白鵬の63連勝です。ちょうど入院していて、連勝記録が日々更新されていくのが唯一の楽しみでしたから。最後に読者へのメッセージをお願いします。

 

T.K:大相撲はプロスポーツであると同時に国技であり、世界に誇る日本の文化でもあります。皆さんには、とにかく一度TVで取組を見てもらいらいです。日本人の若手力士も台頭してきて、女性ファンも増えてきていますから、これを機会に興味を持ってもらえたら嬉しいです。

 

かもしか:私は白鵬が積み重ねている歴史的偉業という点で注目してもらいたいです。歴史が書き換わる瞬間に立ち会える機会って、そう多くはありませんから。

あとがき

大相撲をテーマにしたキッカケの一つが、GW以降の体調不良でした。抑うつ状態が酷く、訓練時間を思うように延ばせず不安と不満ばかりが募る日常・・・ あらゆる意欲・関心が喪失していく私にエネルギーを分けてくれたのが白鵬の復活優勝でした。ケガが相次ぎ、稀勢の里との主役交代と影が薄くなるばかり。このまま引退か、と懸念されている中でもう一度自分を追い込んでの復活には、心を動かさずにはいられませんでした。

 

また、相撲史を振り返るということは、「あのときはこうだったな~」という形でその時点での自分自身を振り返ることでもありました。特に白鵬の横綱在位期間は、抑うつ状態が悪化して精神科で治療している時期とちょうど重なるだけに、病との苦闘と重ね合わさずにはいられません。こうした回顧が自己分析の題材となっていることを考えると、私にとって大相撲の存在が如何に大きなものであるかを再認識させられます。

 

以上のような思いから、当初の想定を遥かに上回る長文となってしまいましたが、最後までご精読ありがとうございました。

 

―完―