旧ブログ

急がず、焦らず、亀の歩みにて

秋葉原事業所

2018.02.06

――はじめに――

卒業を間近に控えた秋葉原事業所の訓練生“かもしか”です。ブログ記事の執筆は3度目なのですが、今回が最後ということで、さらぽれでの2年間を振り返ってみたいと思います。

 

その前に本稿の構成ですが、入所前から現在に至るまで時系列の形式で、3段階に分けました。それでは、短い時間ですが暫しお付き合い下さい。

――第1段階 2016年1月~2016年10月中旬――

 この時期を表すとすれば、まさに「苦闘」だったと思います。心身に問題を抱え、訓練に専念できない状況が続いており、「生きていることが辛い」と思うことも何度もありました。それでも、どうにか通所を続けることができた過程をお話ししていきます。

 

(1) 出会いと始まり

 

 約2年前、入院先のソーシャルワーカーさんに就労への希望を伝えたところ紹介されたのが、さらぽれの秋葉原事業所(以下、秋葉原と表記)です。そこで応対していただいたのが、基礎コースの担当となる職員Sさん(現在は池袋にいます)です。そのパワフルさに終始圧倒されていたことが今でも印象に残っています(笑)。その後、基礎コースでの期間体験を経て、入所を決めました。退院したばかりで健康に不安を抱えていた為、午前中のみでのスタートです。

 

(2) 基礎コース

 

 午前中だけとはいえ思考・理解力の制約が大きいため、特にPCの講義では難儀しました。「基礎固めが大切」と常々自らに言い聞かせてきただけに、自分の思いと相反してしまう現状には悔しさばかりです。今でも「もっと体調が整った段階で受講できていたら」と思うこともあるくらいですから。

 

 これに対して、より発言を求められるビジネス基礎研修の方が積極的に取り組めていました。思考力の制約といっても、インプットに比べてアウトプウットの方が少なかったためです。加えて、講師であるS統括の人柄や、それによって形成されるグループの雰囲気に支えられていたのだと思います。

 

(3) 就職準備コースへ

 

 血流に問題を抱える私にとって、血管を収縮させる冷えや寒さは天敵です。夏の終わりと11月下旬には、その後の寒さを想像すると、それだけで憂鬱になってしまいます(苦笑)。裏を返せば、気温が上昇していく春から初夏にかけてが1年のうちで最も好きな季節なのです。しかし・・・ 振り返ってみると過去4年間はどういうわけか逆に体調を崩しているのです。さらぽれでの2年間で出勤率がボトムだったのも、2016年の5月でした。

 

 同期のメンバーが導入課題を次々に終え、先に進んでいく状況を横目にすると、やはり焦りが募ります。パソコンの操作一つ、文章のワンセンテンス書くことをとっても絞り出すの一苦労しているのですから。これに対して、「今はガマン」とひたすら自分に言い聞かせることで(まるで念仏のように)、不安や焦燥と相殺するようにしました。こうした取り組みを側面からサポートしてくれたのが職員さんとの面談です。

――第2段階 2016年10月下旬~2017年6月――

 2016年10月に私にとって重要な転換点がありました。ここを境にして、それまで苦しさ一辺倒だったのが、生き方を模索する「試行錯誤」の段階に移行したといえます。以下で、転換点と試行錯誤の2点を中心にしてお話していきます。

 

(1) 抑圧からの解放

 

 入所以前から第1段階まで、家庭で大きな問題を抱えていました。(詳細は触れられないのですが)「家族がバラバラになってしまうかもしれない」という不安・恐怖と常に背中合わせだったのです。これと同時並行して長年抑うつの波に苛まれており、「内憂内患」の二正面作戦を強いられている状況でした。内憂のうち非常に大きな割合を占める自分自身と家族の将来への不安がほぼ取り除かれたことで精神状態を大きく安定させることになったのです。今でも、この前後を境にして「眼前に広がる景色が全く違う」と思うこともしばしばあるくらいです。

 

(2) 双極性障害と試行錯誤

 

 自分を大きく悩ませてきた二本柱が一本に絞り込まれた… 「さぁ、これから訓練時間を延ばしていくぞ」と思っても一筋縄ではいかないのが私の抱える症状の特徴です。それまでに蓄積されたフラストレーションが、抑圧から解放されたことで軽躁状態へと転化し、許容量を超えた負荷を自らに課してしまったのです。何しろ、今まで経験のしたことのない状態ですから、それまでとは違った「負荷の適性値」を模索していくしかありません。

 

 双極性障害の診断を受けてから6年半になり、躁状態を避けるために、負荷の調整方法については当初より模索し続けてきました。その経験則にて形成した許容量を基に現在の負荷を設定するのですが、それでも抑うつと軽躁(自覚は乏しいのですが)の循環を繰り返してしまいます。おそらく、躁鬱の循環とは別にこの6年間を通しての様々な心身の機能低下について考慮できてなかったためだと思います。

 

 こうした状況下で実習を希望したのですが、1社は取り止め、1社は時間を半減させることになりました。当時は「フルタイムだったら、もっといろんな業務に取り組めたのに」と悔やむことしきりでしたが、今では「あれが当時の限界値だった」と割り切るようにしています。その上で、限界値そのものを引き上げていくことに専心すればよいのですから。

――第3段階 2017年7月~ ――

 ここは「挑戦」の時期と表現したいと思います。それまで1年半は時間短縮の通所でしたが、フルタイムでの通所に挑戦する機会を得て、初めて実現に漕ぎ着けられたからです。10月には2年間で唯一となる皆勤賞もいただきました。その後、再び体調を崩して、進路にも苦慮しましたが、通所時間或いはそれを裏付ける体調という点では、第2段階に比べて大きく前進したといえます。

 

 それでも当初の目標としていた企業就労には至らず、まだまだ多くの課題を残しての卒業となります。特に基礎体力の向上は引き続き最重要課題であり、おそらく生涯変わることはないかもしれません。

 

 振り返ってみると、「小さな取り組みを積み重ねてきた結果、気が付いたら大きな変化になっていた」という実感が強いです。双極性障害の診断を受ける前は「自分は兎のようなスプリンタータイプである」と思っていました。それが今では、すっかり亀の歩みが板についてきました。また、亀の歩みを自分の生き方として規定できるようなった過程で、さらぽれの皆さんとの関わりが大きな要因であることは言うまでもありません。この場を借りて御礼を述べたいと思います。2年間、ありがとうございました。