さら就労塾はなぜパソコンだったか
さら就労塾@ぽれぽれは2007年、世田谷の千歳台で始まりました。元陶芸教室の、平屋プレハブ。夏には定期的に草むしりをしないと、「虫が出る」とお隣のマンションから怒られてしまいます。一応世田谷の住宅街なのですが、あまりの自然力に一時「アスファルト半分剥がしてヤギ飼おうか」という案も出るような環境でした。
さら就労塾では、訓練の多くにパソコンを使っています。とはいえバリバリ専門のIT技術者やクリエイターを養う、といったものではありません。使うのは一般的なWindowsのパソコン、講義内容はよく使われているOfficeソフト。「どちらかといえばパソコンは苦手」という人が、「詳しいわけじゃないけど普通に使える」というくらいになることを目標にしてプログラムを作っています。
パソコンでの就労訓練は現在の就労移行支援事業所ではほとんどやっていることですし、別にパイオニアというわけでもない(と思う)のですが、障害者総合支援法の前身の障害者自立支援法が施行されたのが2006年。さら就労塾の設立が2007年で、つまり就労移行支援という制度が始まってまだ1年。障害者雇用の在り方もまだ定まらない中、当時としてはなかなかの勇断だったのではないかと思います。
さら就労塾の母体であるさらプロジェクトは、元々ご年配の方向けにパソコンを教える活動をしていました。私もまだ入職していなかったころの話ですが、さら就労塾でパソコンを訓練メニューに入れているのもそのころのノウハウが活かされているものと思います。ここから先は思い出補正も入っているので、もしかすると若干盛ってしまっているかもしれません。
私が入職した当時の施設長は、就労移行でパソコンをやることにした理由について「パソコンは平等だから」と言っていた…気がします。もう10年以上昔のことなので、曖昧です。
ですが障害に限らず様々なハンデをもつ人たちが社会で戦うための道具として、パソコンは現在たしかに強力なツールとなっています。
インドは、IT先進国の一つです。インドには身分制度の思想が根深く残っており、就ける職業も生まれによって実質制限されてしまいます。このことが、たとえ能力があり努力していてもなかなか貧しさから抜け出せない理由の一つとなっていました。
しかし「ITエンジニア」は、インド社会にとって全く新しい仕事でした。そこに身分の縛りはなく、また能力によって世界を相手にいくらでも大きな仕事ができる職業です。インドでIT職はたちまち人気となり、結果として国全体の技術レベルを引き上げることにも繋がりました。
企業の目線で言えば、パソコンは安い投資です。お金のないベンチャーでも、ある程度の性能のものをそれほど苦労なく揃えることが出来ます。
そしてこれは先人たちのおかげですが、多くの開発環境、プログラミング言語、ネットワーク技術は使用料など払う必要はなく、誰でも自由に使えるように解放されています。どの知識も習得の難しさはありますが、これらの知識もネットを探せば無料で得ることができます。
旧ソビエト連邦から独立したエストニアは、資源に恵まれず大きな産業ももっていませんでした。しかし国を挙げてIT立国を推進した結果、今では世界有数のIT先進国となりました。ビットコイン等の仮想通貨に使われているブロックチェーンの技術も、エストニアで開発されています。大きな資本を必要としない、けれどもこれからも世界中で需要が高まり続けるであろうITに注力した結果、GDPは90年代から3倍になるほどの成長を遂げています。
小説でも音楽でも、今は企業を通さなくても個人がいくらでも世界に向けて発信することができます。企業が発信するものを選ぶのではなく、すでに発信され人気になったものにスポンサーがつくことも普通になりました。
AIの進化もあり、苦手な部分はソフトウェアに任せて自分の表現したいものを形にすることもやりやすくなってきました。楽器の弾けない作曲家は、すでにたくさんいます。頭の中に素晴らしい物語があっても、絵が描けない、文章が綴れないばかりにそれを形に出来なかった人たちが、漫画家・小説家として世に出てくるのも遠い日ではないかもしれません。
国の貧しさというハンデも、表現したいものにスキルが及ばないというハンデも、これまでは覆しがたいものでした。
今のIT技術は個人にも利用できるレベルで、そのハンデを埋めつつあります。文字を書くのが苦手な人も自由に文章を書くことができ、文字を読めない人には音声で何が書かれているかを教えてくれる。
あとの問題は「パソコンや機械が苦手な人はどうする!」という方もいるだろうということですが、そういうときにはぜひ当施設をご検討いただければ幸いです。
いつかはどんな障害があっても、あらゆる人が対等な条件で仕事の成果を競うことができる世の中になるのかもしれません。
そうなると私の仕事も必要なくなってしまうことになりますが、その時は私も新技術に助けてもらうといたします。